聴覚障害者に関するニュース、聾(ろう)文化や手話に触れて興味深かった事などを綴っていこうと思います。






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日本手話:聴覚障害者教育の教職課程で義務化 社会事業大
2009年01月25日 (日) | 編集 |
日本手話:聴覚障害者教育の教職課程で義務化 社会事業大


日本語とは文法などが異なるろう者独自の言語「日本手話」を使える教員を育てようと、日本社会事業大(東京都清瀬市)が今春から、聴覚障害者を専門とする特別支援学校教員の教職課程に進む学生に、日本手話の履修を全国で初めて義務化する。国の特別支援教育の教職課程では手話そのものが必修ではない。手話を使える教員数さえ不明で、聴覚障害者の教育を受ける権利を守る取り組みとして注目される。

 日本手話は、聴覚障害者の間で自然発生的に生まれた「言語」。日本手話を母語とする聴覚障害者は少なくない。日本語とは文法や表現方法が異なり、日本語の文法・語順に合わせて単語を並べる「日本語対応手話」とは区別される。

 ろう学校教育は相手の唇の動きを読み取る「聴覚口話法」を教えるのが主流で、日本語対応手話を含め、手話は実質禁止されていた。90年ごろから導入され始めたが、手話ができる教員数は把握すらされていない。

 これまでは、聴覚障害児が日本手話で学びたいと望んでも、教える人も環境もなかった。昨年4月に日本手話で授業をする初の私立学校「明晴学園」(東京都品川区)が開校。北海道教育庁は今年度から、道内ろう学校の教員向けに日本手話の研修を始めたが、極めて例外的だ。

 日本社会事業大は、「日本手話」計90時間の履修を教職課程に進む条件とする。課程に進んだ後も、日本手話だけで授業を行う課目などを設定。教育実習は明晴学園で行うことを検討している。

 同大の斉藤くるみ教授(言語学)は「この教職課程を経た教員たちを社会に送り出し、日本手話を母語とする聴覚障害者の教育を受ける権利を守りたい」と話している。

(毎日新聞 2009年1月24日)


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今井絵理子 ろう学校の生徒とシンポジウムで歌う
2009年01月23日 (金) | 編集 |
今井絵理子 ろう学校の生徒とシンポジウムで歌う

SPEEDの今井絵理子(25)が24日、障がいのある児童・生徒への理解を深めるシンポジウムに参加することを自身の日記で発表した。テーマは「夢に向かって共に進もう」で、シンポジウムの最後では今井の曲『ゆりかご』を歌うことを教育委員会から要請された。

 だが、一人で歌うのではなく、都立葛飾ろう学校の生徒と一緒に手話を交えて歌う。今井は同校へ練習へ行くなど、現在24日の本番に向けて準備のまっ最中。「一生懸命に歌い、リズムにのり、手話をしているところを見ていると、私は歌っていて本当によかったなとココロから感じました」とのことで、充実した時間が過ごせたようだ。

 そしてこの模様は今井の動画サイト「elly ch『... & smile』」で1月30日に視聴できるようになる。

手話で歌うこと(elly official web site
(2009.1.22 アメーバニュース)

新成人の山下さん、手話で開閉式宣言/高松
2009年01月14日 (水) | 編集 |
新成人の山下さん、手話で開閉式宣言/高松

12日に行われた高松市の成人式で、新成人の山下尊子さん(20)=香川県高松市由良町=が手話による開閉式宣言を担当した。山田中3年だった2003年には、手話を使った中学生意見発表会の全国大会で最優秀賞に輝いた山下さん。晴れ着姿で大役を務め、「緊張せずに堂々とやれました」と笑顔を見せた。

 両親が耳が不自由だったため、幼いころから日常生活の中で手話を覚え、両親と「会話」してきた。中学3年で出場した意見発表会では、手話との出合いや両親から学んだ「強さ」などについて発表し、最優秀賞を射止めた。

 開閉式宣言は市から打診があり、「素直にうれしかった」と引き受けた。手話を覚えるきっかけとなった両親からは「いつも通りに頑張って」と激励され、晴れの舞台へ。司会者の横に立ち、大きな手ぶりと笑顔で手話を披露した。

 子どものころからの目標は福祉関係の仕事に就くこと。無事に新成人を迎えた今、目標通り、かがわ総合リハビリテーションセンター(高松市田村町)で生活支援員として働いている。印象に残る成人式を終え、「これからもいろいろなことがあると思うけれど、深呼吸しながら、じっくり腰を据えて取り組んでいきたい」と抱負を語っていた。
(2009.1.12 四国新聞)
盲ろう者支援センター:東京都が新設 全国初の総合拠点??09年度
2009年01月10日 (土) | 編集 |
盲ろう者支援センター:東京都が新設 全国初の総合拠点??09年度

東京都は09年度、視覚と聴覚の重複した障害のある「盲ろう者」について、当事者同士が交流したり、社会参加の訓練をする拠点「盲ろう者支援センター」を新設する方針を決めた。全国盲ろう者協会によると、盲ろう者に対する行政支援は視覚と聴覚の各障害の縦割りになりがちで、地方自治体が総合的な支援拠点を設けるのは全国初という。

 盲ろう者は、指点字や触読手話といった特有の手段でコミュニケーションをとるため、通訳者が必要になるケースが多い。外出するたびに通訳・介助者に付き添ってもらわなければならず、支援団体が開く交流会が、貴重な外出の機会になっている人もいる。

 また、米国には盲ろう者の社会参加を促進するリハビリテーション施設「ヘレン・ケラー・ナショナルセンター」がある。

 都の支援センターは、当事者同士の交流スペースを設けるほか、生活相談を受け付け、社会参加に必要な訓練や教育を実施。通訳・介助者も養成する。場所は民間の物件を借り受ける方向で検討している。事業費は約2500万円を見込む。

 全国盲ろう者協会によると、06年7月の盲ろう者の数は全国で約2万2000人おり、このうち都内は2141人と推計される。

毎日新聞 2009年1月10日
語学授業に「日本手話」 ろう者の文化へ理解深める狙い
2009年01月06日 (火) | 編集 |
語学授業に「日本手話」 ろう者の文化へ理解深める狙い

手話のうち、ろう者が幼いころ自然に身につける日本手話を、ドイツ語やフランス語などと同様、語学の一つとして授業に取り入れる大学が出てきた。関西学院大(兵庫県西宮市)では、4月に新設した人間福祉学部で開講。第2言語として2年間指導する計画で、福祉について学生の視野を広げる狙いもある。

 関学大非常勤講師の前川和美さん(33)が教室の明かりをいったん消して、またつけた。ろう者が用いる「さあ、注目して」という合図だ。学生たちは手話をやめて正面を向いた。

 授業は日本手話のみ。学生たちは、グループ内で相談して決めた旅行計画を発表していく。1年の槙島華乃さん(19)は「同じ手の動きでも表情によって意味が変わる。日本語との違いに発見がある」と魅力を語る。

 手話の単語を日本語の語順に当てはめた日本語対応手話は一般的に、耳が聞こえる人や中途失聴者が手話講習会などで学ぶことが多い。一方、ろう者の間で受け継がれてきた日本手話は、語順、文法とも日本語対応手話とは異なる。

 関学大では初年度、約90人が受講を希望した。ろう者の両親のもとで育ち、自身もろう者の前川さんが実技を受け持ち、手話通訳士の非常勤講師平英司さん(32)が講義を担当。「ろう者を呼ぶ時は、机や床をたたく時もある。これは失礼にはあたらない」といった習慣も伝える。

 日本手話の導入を提案した教務担当の松岡克尚准教授(45)は「言語を通し、ろう者が育んできた文化を知り、多様さを学んでほしい」と話す。前川さんは「手話はこれまで日本語の代用のように思われてきたところがあった。ろう文化を理解し福祉の仕事につく人がたくさん出てきてほしい」と願う。

 四国学院大(香川県)でも10年前から、日本手話を語学として取り入れている。日本社会事業大(東京都)も今年度から導入した。国立障害者リハビリテーションセンター学院教官の市田泰弘さん(手話言語学)は「日本手話を母語とするろう者は国内で5?6万人いる。手話を単に福祉としてとらえるのでなく、対等な言語として目が向けられるのは、歓迎すべき動き」と評価する。
(2009年01月05日 読売新聞)

第59回NHK紅白歌合戦 SPEED White Love を熱唱 / 今井絵理子 手話で息子へメッセージ
2009年01月02日 (金) | 編集 |
第59回NHK紅白歌合戦 SPEED White Love を熱唱
今井絵理子 手話で息子へメッセージ

今井絵理子さん:難聴の息子と向き合う
2009年01月02日 (金) | 編集 |
今井絵理子さん:難聴の息子と向き合う

2004年10月、東京都内の病院。1990年代後半の音楽シーンを代表し、絶頂期の中2000年に解散した人気グループSPEEDのメンバー・今井絵理子さん(25)は3492グラムの礼夢(らいむ)君(4つ)を出産し、幸福感に満ちあふれていた。

 妊娠中は胎教として自身の曲を聞かせた。生まれたら「ママの歌を聞かせたい。ギター、ピアノ、いろんな楽器に触れさせたい」と夢は膨らんだ。言葉に表せない喜び。「初めて誰かを守りたい」と思った。

 3日後。病院で新生児聴覚テストを何の迷いもなく受けさせた。息子はなかなか戻らない。不安がよぎり始めた時、医師から「耳が聞こえていない」と告げられた。先天性高度感音性難聴。音がほとんど聞こえない重度の障害だった。

 「神様は残酷だ」。そんな憎しみさえわいた。涙がこんなにも出るのかと思うほど泣いた。だが、泣くうちに「子どもだってお母さんの笑顔を見たいはずだ」と自身に言い聞かせた。「あすから泣かないから今日だけは泣かせてね。どんな時も笑っていようね」。息子を何度も抱きしめた。

 出産時の「守りたい」との意志が一層強くなった。「前だけを見て、今いる息子を見詰め、すべてのことを受け止めよう」。そう誓った。

 礼夢君の障害が分かって6カ月後。ギターを弾き「おうちへ帰ろう」という曲を歌った時のことだ。おもちゃで遊んでいた息子は手を止め、長い間じっとギターを見つめた後、はじける笑顔を見せた。

 「ママ、歌っていいんだね」。おもちゃをマイク代わりに遊ぶ姿を見て、今井さんは歌う意欲がわいた。「音楽は耳で聞くのではなく、心で聞くものではないか。障害のある子どもたちに歌、音楽の素晴らしさを心で感じてほしい」。再びマイクを持つことを決心した。それは息子の笑顔に「すべてが救われた」瞬間だった。

 そのころ、唇の動きを読む口話法の学校で、多くの母親たちと出会った。母親たちは悩みを話しながら「芸能人の子は何の障害もなく、健康な子が生まれてくるだろうと思っていたが、同じ立場で話せてうれしい」と笑顔で語り掛けてきた。

 触れ合う中で「障害は一つの個性だ。それをみんなで認め合い、一緒に生きていく社会になってほしい」と思うように。そして息子のすべてを受け入れることを決心した。

 07年9月に夫と離婚したが、仕事と両立させながら息子を育て、昨年4月から手話を覚えた。

 障害のある子の母親たちとの出会いが後押しとなり「伝えられる立場にいるわたしの使命」との思いから8月に「24時間テレビ 愛は地球を救う」にSPEEDのメンバーと出演し、息子の障害をテレビで告白した。メンバーから激励を受け、絆(きずな)を確かめ合った。

 それを機にSPEEDは完全復活。大みそかのNHK紅白歌合戦にも出演し、今年はコンサートツアーで全国を駆け回る。

(2009年1月2日 日刊スポーツ)

「息子と共に生かされて」今井絵理子さん
2009年01月01日 (木) | 編集 |
「息子と共に生かされて」今井絵理子さん

ららら ―命のストーリー―
 SPEED・今井絵理子さん インタビュー


 息子の礼夢の聴力障害は生後3日目の検査で分かりました。音を認識することができない「高度感音性難聴」です。歌う仕事をしているのにその歌を聴かせることができないのかと悔しくて、神様を恨みました。
 その日は一日中泣き通しました。涙ってこんなに出るんだ、と思うくらい。未来が不安で、何から手をつければいいのか分からなかった。
 でも息子の寝顔を見ていたら、ママが泣いていたらダメだなと思えてきたんです。「今日だけは泣かせてね」って言って、泣いて泣いて。翌日からはどんな時も笑顔でいこうって誓いました。困難もあると思うけれど、息子の耳のことではもう泣かない。沖縄でいう「なんくるないさ(なんとかなるさ)」です。
 息子が6カ月の時、ギターを弾いたら、すごく楽しそうに聴いてくれたんです。座ることもできないのに、手をたたきながら。歌は心で聴くものなんだと発見しました。
 だから耳が聞こえない人にも空間や振動から音を楽しんでほしくて、小さなライブハウスで歌っています。息子はリズム感がいいみたいで、手を振って聴いてくれますよ。
 息子を授かって、生きようとより強く思った。10代の頃は大好きな歌をたくさんの人の前で歌うことで「生きている」という実感があったけれど、今は違う。息子と共に生きているし、生かされている。私を選んで生まれてきてくれたので生きていかなきゃいけないなと思います。
 自殺を考えてしまう人には、もっと世界を知ってもらいたい。生きたくても飢えで苦しんで死んでいく子どもたちがたくさんいることを、まず知ってもらいたいと思うんです。
 自分の存在を知ってもらいたくて事件を起こす人たちがいますが、きっとみんな孤独なんですよね。私も独りじゃ生きていけないんだということを、息子を通して思った。だから独りでは生きていかないでね、と伝えたいです。
 息子の笑顔を見ていたら、世界中の子どもたちの笑顔も見たいと思うようになりました。以前は自分のために歌っていたような気がします。今は多くの人に捧げたい、歌を通して少しでも多くの子どもたちに笑顔になってほしいと願っています。

今井絵理子(いまいえりこ)/83年、沖縄県生まれ。96年、アイドルグループ「SPEED」のボーカルとしてデビュー。08年8月、テレビ番組の中で04年に出産した長男礼夢君の聴力障害を公表した。全日本ろうあ連盟の創立60周年記念映画「ゆずり葉」(6月公開予定)に出演している。
(2008.12.31 朝日新聞)

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